季節は既に晩夏に入るもまだ蒸し暑い午後の教室。
女子高の教師である私は文化祭の出し物を議題に、ホームルームを行っている。
けど・・・生徒は全く持って話を聞いてくれない。
「で、ですので今度の文化祭の出し物について決めたいのですが・・・」
一生懸命に声をかけるが、教室にはガヤガヤと喧騒ばかりが響き、一向に建設的な議論が進む気配はない。
「(うう・・・これは副担任という立場に甘えてクラスの娘たちを指導できていなかったツケかしら・・・)」
思わず俯き、目の前が暗くなる。でも、いつまでもこうしてはいられない。
「(教師という職は自らの憧れと決定の末に就いた職なのだから)」
そう自分を奮い起こし、再びクラスの娘たちに声をかけようした、その時。
バァン!と机を大きく叩く音が響き、思わず身を竦めてしまった。恐る恐る顔を音のした方へ向けてみると、我がクラスの委員長である”九重 葛葉(ここのえ くずのは)”さんが立ち上がっていた。
髪を三つ編みに纏めて胸へ両サイドに下ろし黒く細いフレームで縁取られた眼鏡をかけた、いかにも”委員長”のステレオタイプといった容姿の彼女だが、その双眸の眼差しは力強く、その様は物静かでありながらも穏やさよりもむしろ威圧感を与える程だった。
そんな彼女-葛葉さん-はつかつかと教卓の横・・・つまりは私の横を通り過ぎ、黒板に綺麗な文字で”喫茶店”と書くと、クラスメイト達の方へ向き直り、決して大きくは無いけど良く通る声で告げた。
「はい、文化祭の出し物の候補は出たわ。あと、何も無ければこれに決定するけど?」
有無を言わさぬ、といった言動に生徒たちは一瞬呆気に取られるも反発を覚えた一部の生徒から抗議の声が上がる。けど・・・
「何?じゃあ、あなた達の誰かがやってくれるの? 出し物を決めて、経費の請求書の作成なり、人員の配置なり、そんな諸々を含めて? 今なら私がやってあげるのだけれど・・・私はやらなくて良いのね?」
苛立ちを感じさせる早口で葛葉さんが捲し立てると教室は水を打ったように静まり返る。
「黙るって事は私が主導して良いって事ね? ・・・じゃあ、本当に他に出し物は無い? 喫茶店で決めて良いのね?」
その言葉の前半は確認の意を含んだ・・・やや圧のかかった口調では有ったが、後半は意外さを感じさせるほど穏やかだった。そんな口調に後押しされるように騒ぎはせずとも発言もしなかった、内向的な生徒たちがぼつぽつと手を挙げ「喫茶店は賛成です。でもそれだけだと寂しいので、制服に凝るみたいな事はしてみたい、です・・・」、「お化け屋敷、やってみたい」といった意見が上がった。
それを聞いた葛葉さんはテキパキと黒板に〇〇喫茶、お化け屋敷と書き「他にはある?」と告げると、これまでと打って変わって建設的なやり取りが行われるようになった。
その様を私は黙って見ているしかない。建設的なホームルームが行われているのは凄く・・・本当に凄く嬉しいのだけど、先生として自分が全く指導できていないのが情けない・・・。
沈んだ気持ちで鬱々としていると葛葉さんの透き通った「じゃあメイド喫茶で決まりね? ・・・先生もよろしいですね?」と声をかけられ、「へ?」とか「あ、え?」とかみっとも無い声を出した挙句に「はい、大丈夫です」と答えるのがやっとだった。
・・・本当に情けない。
もう穴があれば入りたい気持ちになって俯いていると、葛葉さんがとんでもない事を言ってくる。
「じゃあ先生、採寸をするための時間が取れる日時を出来るだけ早く教えて下さい。どう作るにせよ、衣装の制作には時間がかかると思うので」
「(は? 採寸? 衣装? 何で私のが要るの?)」
情けない気持ちのショックから立ち直れていない頭で必死に考えて黒板を見やると・・・メイド(店員)の項に私の名前がある!!
「え?え? 何で私?」
これまた情けない呟きを漏らす私に葛葉さんがずいっと迫って来て「生徒がメイドやっているだけじゃ面白味に欠けますでしょう? せっかくやるのですから、少しは変わった趣向が有っても良いかと」と、更にとんでもない事を言ってきた。
「いや、でも・・・」
近付くと思った以上に整っている葛葉さんの顔に狼狽えつつ答えると、葛葉さんはこれまでに見た事が無い人の悪い笑みを浮かべて「ここまで決まったのに今更ひっくり返したりしませんよね? セ・ン・セ・イ?」と周囲の生徒には聞こえない程度の声で告げてきた。
言外にこの場で葛葉さんに借りがある事を強調され、私は「わかりました・・・」と答えるしかなかった。
それを聞いた葛葉さんは「先生のメイド服姿、楽しみです」と先ほどの悪い笑みが目の錯覚だったのでは無いかと思うほど屈託なく笑うのだった。
「聞いて下さい、阿部先生~」
ホームルームのあと、私の憧れにして先生になりたいと思った気持ちの源である阿部先生に出会った途端に私は泣きついてしまった。
先ほどのホームルームの件と言い、これまた情けない、恥の上塗りだとの自覚は有るが、頼れる人と接する事が出来る安堵感に加えてこの気持ちを吐き出せると思うと言葉が止まらなかった。
「あ~はいはい。どうしたんですか加茂先生」
軽くあしらうような口調ながら優しさも感じる阿部先生の声。サバサバしていて髪も短く切り揃えた阿部先生はボーイッシュと言うか、外見はちょっと男性的な所は有るのだけども声は優しく、その口調に関わらず包まれるようようで非常に女性的と言うか、母性を感じる。・・・その胸にも母性を感じるけど。
・・・と、とにかく。そんな阿部先生は面倒見も良く憧れの存在であると同時に親しみも感じる私の先輩だ。
「ああ~なるほど。要は生徒たちに軽く見られているようで情けないと。そういう訳ね?」
私の取り留めないの無い、愚痴としか言えない泣き言を聞きながら阿部先生は端的に私の心情と状況をまとめてくれた。
「うう・・・要は、はい、そんな感じです」
「う~~ん。生徒に侮られるのは良くないけど、結局は九重さんが纏めてくれたんでしょ? 生徒が自主的に物事を纏めてくれるように持っていくのも決して悪い事じゃないと思うけど」
確かにそれは阿部先生の言う通りです。でも、それは私が意図した上で、なら。あの状況はどう見ても葛葉さんが見るに見かねて、とか我慢ならなくなったから、とかそういった理由での帰結だろう。
それに・・・。
「その九重さんにしても私にメイド服を着させるとか、からかっているとしか思えないです~」
「ははは・・・」と阿部先生は力無く笑うと私の頭を軽くポンポンと叩きながら「まぁそこは親しみを持たれていると思おうよ。グイグイと引っ張っていくだけが教師の形じゃないし、貴女はまだまだ駆け出し。少しずつ貴女という教師のスタイルを築いていきましょ」
そう言いながらニカっと太陽のように笑う阿部先生の顔に何故か頬が熱くなるのを感じながら「はい」と答えると同時に横から手をぐっと取られた。
痛みこそ無いもののそれなりの衝撃を感じて取られた手の方を向くと、何だか不機嫌そうな顔をした葛葉さんが私の手を強く引っ張りながら「加茂先生。採寸道具を持っている娘が居たので今、教室で採寸を済ませてしまっています。後で加茂先生だけ別に測るのは面倒なので来て下さい。」
「は?」とか「え、ちょっと」とかまたも情けない声を挙げながら私は葛葉さんに引っ張られていくしかなかった。
「・・・何だぁ、加茂のヤツ、舐められているどころかメッチャ好かれてるじゃん」
九重さんに引きずられていく加茂先生を眺めながら、思わず素の口調を出しつつ私は呟いた。
突風のように表れて自らの副担任にして私の後輩である加茂先生をひったくっていった九重さんは頬を染めた顔で睨むにようして「負けませんから」と私に小さく告げて行ったのだ。
「ふふ。要は宣戦布告ってことね」
教師としては少々不謹慎かな、と思いつつも今後も学校生活が楽しくなりそうだな、と私は思った。